コムデギャルソンの「黒の衝撃」とは?ヨウジヤマモトとの関係も解説

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コムデギャルソンの「黒の衝撃」とは?ヨウジヤマモトとの関係も解説

ファッション界における「黒の衝撃」とは何かご存知でしょうか?

この革新的な出来事は、川久保玲が率いるコムデギャルソンと、山本耀司によって、パリ・コレクションで発表されました。従来の華やかで体のラインを強調するデザインとは対照的に、黒を基調としたアシンメトリーなデザインや、破れたような加工を取り入れたスタイルは、ファッション界に大きな衝撃を与えました。

この記事では、「黒の衝撃」の背景やその後の影響、コムデギャルソンとヨウジヤマモトの違いについて詳しく解説します。ファッション史に残るこの出来事を通じて、現代のファッションにどのような変化をもたらしたのか、一緒に見ていきましょう。

この記事でわかること

・「黒の衝撃」が何年に起こり、どのような出来事だったか
・コムデギャルソンがもたらしたファッションの革新とその背景
・コムデギャルソンとヨウジヤマモトの違いや関係
・「黒の衝撃」がマルジェラをはじめ、現代のブランドに与えた影響

コムデギャルソンの「黒の衝撃」とは?

川久保玲

ポイント

・黒の衝撃とは?何年の出来事?
・黒の衝撃による西洋ファッションへの影響
・コムデギャルソンと「カラス族」
・川久保玲の革新的なデザインアプローチ

黒の衝撃とは?何年の出来事?

「黒の衝撃」とは、1981年に日本のファッションデザイナーである川久保玲(コムデギャルソン)と山本耀司がパリ・コレクションで発表した革新的なデザインに対して付けられた表現です。彼らが初めてパリで作品を披露したのは1981年ですが、「黒の衝撃」という言葉が生まれたのは、1982年に行われたショーがきっかけでした。このショーでは、黒を基調とした独特のデザインや、生地のボロボロ感、アシンメトリーなシルエットが衝撃を与え、ヨーロッパのファッション界に大きな反響を呼びました。

それまでのファッション業界では、華やかで体のラインを強調するデザインが主流でしたが、彼らは黒を基調とし、ゆったりとしたシルエットや、破れたような加工を取り入れたスタイルを発表。これが「黒の衝撃」と呼ばれた所以です。当時、黒は喪服など暗い印象を与える色とされていましたが、川久保玲と山本耀司はその固定観念を打ち破り、黒の持つ深みや美しさを新しい形で提案しました。

この出来事は、ファッション史において大きな転換点となり、1980年代のモードファッションに大きな影響を与えました。

黒の衝撃による西洋ファッションへの影響

コムデギャルソンのボロルック

「黒の衝撃」が西洋ファッションに与えた影響は非常に大きく、ファッションの概念そのものを揺るがしました。まず、従来の西洋ファッションでは、鮮やかな色や体のラインを強調するデザインが主流でした。しかし、1980年代初頭に川久保玲と山本耀司が打ち出した黒を基調としたスタイルは、これまでの「華やかさが美しい」という常識を覆しました。

黒を大胆に使ったデザインは、シックで落ち着いた印象を与える一方、穴の空いた生地やゆったりとしたシルエットが「不完全さ」や「みすぼらしさ」と捉えられることもありました。しかし、この「不完全さ」の美学こそが日本の侘び寂び(わびさび)という独自の感性に基づいており、西洋人には新鮮で挑戦的なものでした。

結果として、「黒の衝撃」は単なるファッションの一つにとどまらず、西洋のデザインに「アンチ・ドレスアップ」という新たな視点を与えました。それまでの完璧な美しさを追求するファッションから、敢えて不完全さや自然な流れを重視するスタイルへの転換が見られるようになり、その後のデザイナーにも大きな影響を与えました。

このムーブメントによって、ファッションの多様性がさらに広がり、黒を使ったシンプルなデザインや、アシンメトリーなシルエットが定番となっていきました。結果的に、現代のファッションシーンにもこの「黒の衝撃」の影響が色濃く残っています。

コムデギャルソンと「カラス族」

「カラス族」という言葉は、1980年代の日本で、全身を黒で統一したファッションスタイルを好む若者たちを指して使われた言葉です。このスタイルは、主にコムデギャルソンやヨウジヤマモトが発表した黒を基調としたデザインの影響を受けたものです。「黒の衝撃」が世界に広がった後、日本でもこの黒を中心としたファッションが急速に人気を集めました。

カラス族は、黒い服を着るだけでなく、シルエットや素材感にも特徴がありました。ゆったりとしたシルエット、アシンメトリーなデザイン、さらにはボロボロに見える加工が施された洋服など、コムデギャルソンが提示した「美の不完全さ」をそのまま取り入れています。当時の日本社会では、これまでの華やかなファッションとは対照的なスタイルであったため、カラス族はとても目立ち、社会現象にもなりました。

しかし、カラス族は単なるファッションの流行にとどまらず、個人の自己表現や反抗的な姿勢を象徴するスタイルとしても受け取られていました。特に若者の間では、既存のファッションや価値観に挑戦する象徴として、この全身黒のスタイルが支持されました。

結果として、コムデギャルソンの黒を基調としたデザインは、単なるファッションブランドにとどまらず、当時の若者文化や社会現象の一部として、日本に深く根付くこととなりました。この影響は今でも残っており、現代でも黒を取り入れたシンプルで洗練されたスタイルは多くの人に支持されています。

川久保玲の革新的なデザインアプローチ

川久保玲のデザインアプローチは、伝統的なファッションの概念を根本から覆すもので、常に革新的なスタイルを提案してきました。特に注目されるのは、彼女が美しさの定義を問い直し、「不完全さ」や「未完成さ」に美を見出すデザインです。これは、従来の「完璧な体型を引き立てる」ファッションとは対照的なアプローチであり、ゆったりとしたシルエットやアシンメトリーなデザインに反映されています。

川久保玲が提案した革新の一つは、服の機能や見た目をあえて崩し、非対称な形や穴の空いた加工を施すことです。これにより、服そのものがアート作品のように見えるだけでなく、着る人自身がファッションを通じて新たな自己表現をする場を提供しました。この考え方は、従来の「完璧さ」を求める西洋ファッションに対する挑戦であり、日本独自の侘び寂びの美学にも通じています。

また、川久保玲の革新は単なるデザインにとどまらず、ファッション全体の在り方にも影響を与えました。彼女は「服とはただ着飾るものではなく、思想や個性を表現する手段」として捉え、既存のファッションの枠組みを壊し続けてきました。これは、パリコレクションでの「黒の衝撃」から現在まで一貫している姿勢です。

このような川久保玲のアプローチは、既存のファッションに挑戦する姿勢を持つ多くのデザイナーやブランドに影響を与え、ファッションを単なる「流行の服」ではなく、文化的な表現の一つとして位置づける重要な役割を果たしました。

コムデギャルソンの「黒の衝撃」とは?ヨウジヤマモトとの関係も解説

山本耀司

ポイント

・コムデギャルソンとヨウジヤマモトの違いは?
・川久保玲と山本耀司の関係について
・黒の衝撃がマルジェラへ与えた影響
・コムデギャルソンの影響を受けた現代のブランド
・記事のまとめ

コムデギャルソンとヨウジヤマモトの違いは?

コムデギャルソンとヨウジヤマモトはどちらも1980年代に「黒の衝撃」を世界に与えた日本を代表するブランドですが、そのデザインアプローチや理念には大きな違いがあります。まず、コムデギャルソンは川久保玲が手掛けるブランドで、彼女は「既成概念を壊す」という姿勢を一貫して持ち続けています。アシンメトリーなデザインや、穴の空いた服、時には「着にくい」ように感じるデザインなど、ファッションにおける常識を覆し、前衛的なスタイルを提案することが特徴です。

一方、ヨウジヤマモトは、山本耀司が手掛けるブランドで、彼のデザインは「反骨精神」として知られています。山本は黒を基調としたシンプルなデザインを貫いており、特に布のドレープやシルエットの美しさに重きを置いています。彼の服は、着る人の体に寄り添うようなデザインが特徴で、特に動きの中で服が見せる美しさにこだわっています。また、ヨウジヤマモトは、メンズウェアの要素を女性向けに取り入れることで、新しい形の女性らしさを提案している点でもユニークです。

このように、コムデギャルソンは挑戦的でアーティスティックなアプローチをとるのに対し、ヨウジヤマモトはシンプルでありながらも繊細な美しさを追求するスタイルを持っています。両者ともに革新的ですが、その革新の方法やデザインの焦点は異なり、ファッションに対する哲学も異なると言えます。

川久保玲と山本耀司の関係について

川久保玲と山本耀司は、1980年代に「黒の衝撃」で世界のファッション界を揺るがせた二人のデザイナーです。彼らはお互いに大きな影響を与え合う存在であり、同じ時期にパリ・コレクションでデビューしたことから、よく比較されますが、その関係は単なるライバルに留まりません。

まず、川久保玲はコムデギャルソンの創設者として、ファッション界で革新的なデザインを発信し続けています。一方、山本耀司はヨウジヤマモトを立ち上げ、シンプルでありながらも強い反骨精神を持ったデザインを特徴としています。二人は異なるアプローチを持ちながらも、共通して「ファッションの常識を壊す」という姿勢を貫いています。

また、川久保玲と山本耀司は個人的な交流も深く、かつて恋人関係にあったとされることもありますが、実際には「同志」のような関係とされています。お互いにリスペクトし合い、ファッション界において常に刺激し合う存在として、それぞれが独自の道を歩んできました。このような関係は、互いのデザインに影響を与えながらも、それぞれが異なる個性を持っていることにより、ファッション界全体に新たな価値観を提示し続けていると言えます。

このように、川久保玲と山本耀司の関係は単なる競争相手ではなく、共にファッション界を革新してきた「パートナーシップ」として捉えられるべきでしょう。

黒の衝撃がマルジェラへ与えた影響

コムデギャルソンのブティック

「黒の衝撃」は、マルタン・マルジェラにも大きな影響を与えたと言われています。川久保玲と山本耀司が1980年代にパリで「黒の衝撃」と呼ばれるファッション革命を起こした際、マルジェラはそれに深く感銘を受けました。特に、「既存の美しさを壊し、新しい美の基準を提案する」という姿勢は、マルジェラのデザイン哲学にも強く反映されています。

マルジェラは、川久保玲と山本耀司が行ったように、ファッションに対する固定観念を打ち壊し、「脱構築」というコンセプトを生み出しました。これは、既存の服を一度分解してから再構築するというデザイン手法で、ファッションをアートとして再定義するものでした。これにより、ボロボロに見えるデザインや破れた服、非対称なシルエットなど、川久保や山本が開拓した美学を引き継ぎながらも、マルジェラ独自の世界観を確立しています。

また、黒を基調としたミニマルなスタイルや、完璧でないことに美を見出す姿勢も「黒の衝撃」から影響を受けた要素です。マルジェラはこれをさらに発展させ、素材や形において革新的なアプローチを続けました。このように、川久保玲と山本耀司がもたらした「黒の衝撃」は、マルジェラを含む後続のデザイナーたちに大きなインスピレーションを与え、モードファッションの枠を広げる原動力となったのです。

コムデギャルソンの影響を受けた現代のブランド

コムデギャルソンの革新的なデザインと「黒の衝撃」は、マルジェラ以外の多くの現代ブランドにも強い影響を与えています。その中でも特に影響が大きかったブランドとしては、ラフ・シモンズやリック・オウエンスが挙げられます。

ラフ・シモンズは、シンプルでありながらも大胆なデザインを得意とするブランドで、特に黒を多用したミニマリズムや、異素材を組み合わせるアプローチにおいて、コムデギャルソンの影響が見られます。彼のデザインは、過剰な装飾を排除し、シルエットや素材に焦点を当てる点で、川久保玲の思想と共鳴しています。

また、リック・オウエンスもコムデギャルソンの影響を強く受けたブランドの一つです。彼の作品は、ダークでアヴァンギャルドなスタイルが特徴で、特に黒を基調としたデザインや、非対称的なシルエット、破れたような加工といった要素が、コムデギャルソンからの影響を感じさせます。リック・オウエンスは、川久保玲が打ち立てた「美の不完全さ」を自身のブランドでも取り入れ、独自の世界観を展開しています。

さらに、ヴェトモンもコムデギャルソンの影響を受けたブランドの一つです。ヴェトモンのデザインは、ストリートファッションとハイファッションの融合が特徴で、既成概念を壊すという姿勢や、反体制的なファッション観は、コムデギャルソンの精神を引き継いでいると言えます。

このように、コムデギャルソンの「黒の衝撃」や革新性は、マルジェラ以外の現代ブランドにも多大な影響を与え、ファッション業界全体に新たな視点をもたらしました。

「コムデギャルソンの『黒の衝撃』とは?ヨウジヤマモトとの関係も解説」のまとめ

この記事では、コムデギャルソンの「黒の衝撃」がファッション界に与えた大きな影響について解説しました。1980年代に川久保玲と山本耀司がパリで発表した黒を基調としたデザインは、当時のファッション業界に強烈なインパクトを与え、伝統的な美の概念を覆しました。これにより、ファッションにおける「不完全さ」や「シンプルさ」が新たな美しさとして評価されるようになりました。

また、この「黒の衝撃」は、西洋ファッションにも影響を及ぼし、マルジェラをはじめとする多くの現代ブランドにインスピレーションを与えました。さらに、カラス族というファッションムーブメントや、日本の侘び寂びの美学を世界に広めるきっかけにもなり、現在でもその影響は色濃く残っています。

コムデギャルソンとヨウジヤマモトは、それぞれ異なるデザイン哲学を持ちながらも、共にファッションの常識を打ち破り続けています。彼らの功績がなければ、現代ファッションは大きく異なるものになっていたでしょう。